TX開業までの道のり

筑波高速度電気鉄道

1920年代、筑波山への観光を目的に田端~筑波間に鉄道を建設しようという計画がありました。当時、筑波山麓へ行くためには、常磐線で上野から土浦まで行き、その後筑波鉄道に乗り換えて筑波に行く手段しか無く、鉄道建設が計画されたのは当然といえば当然でしょう。
筑波高速度電気鉄道は1928年に免許が下りました。

最終路線図(合計14駅)

┃上野
┃動物園前
┃日暮里
┃三河島
┃千住
┃梅島
┃西新井
┃八幡
┃流山
┃初石
┃守谷
┃谷田部
┃北篠
┃筑波

当初路線図(合計13駅)

┃田端
┃梅島
┃八幡
┃彦城
┃早稲田
┃流山
┃田中
┃守谷
┃谷田部
┃葛城
┃大穂
┃新北条
┃筑波


計画では、全線が狭軌複線で直流電化を予定していました。ただ、このときすでに柿岡地磁気観測所は観測を始めており、筑波までの直流電化は絶望的だったと思います。車両は50両を配置予定で、当時としては標準的な計画でした。
当初起点とした田端駅は、田端操車場の東端にあり、当時東北本線だった現山手線田端駅と離れていました。利便性を考えたのか、日暮里、上野と起点を変更しました。

接続路線一覧

  • 上野 - 東北本線と接続
  • 日暮里 - 東北本線・常磐線と接続
  • 三河島 - 常磐線と接続
  • 西新井 - 東武鉄道と接続
  • 流山 - 流山鉄道(現流山電鉄)と接続
  • 初石 - 北総鉄道(現東武鉄道)と接続
  • 守谷 - 常総鉄道(現関東鉄道)と接続
  • 谷田部 - 関東電鉄(古河~下妻~土浦、未成線)と接続
  • 筑波 - 筑波鉄道(1987年廃止)と接続

ところが、路線の着工は見送られ、1930年に京成電気鉄道(現在の京成電鉄)と合併し、筑波高速度鉄道は着工せずに解散することになりました。谷田部以北の直流電化が認められず、交流電化技術が未熟だった当時は、路線の開業は困難だったため、京成電気鉄道は千住以北の着工を保留しました。
当時、押上が起点だった京成電気鉄道は、筑波高速鉄道の免許を有効に活用し、上野~青砥間の路線を開業させました。松戸が終点だった支線のルートを変更し、青砥につなげることで、京成電気鉄道は都心へのルートを確保する事に成功しました。現在の京成本線上野~青砥間はこのような経緯で開業したのです。

新・通勤5方面作戦

第二次世界大戦が終わってしばらく経ち、日本は高度経済成長期に入りました。首都圏の鉄道の輸送量は限界に達してしまい、特に東海道本線、中央線、東北線、総武線、常磐線の5方面の混雑は非常に激しく、根本的な改良を行う必要がありました。1961年に示された国鉄の第2次5ヵ年計画で「通勤5方面作戦」が始まりました。それによって各線区の複々線化、武蔵野線の建設など、現在の首都圏の鉄道ネットワークが作られたのは周知のとおりです。
昭和40年代に入ると、「通勤5方面作戦」も中盤を向かえ、国鉄は次の混雑緩和対策を模索する事になりました。その中で当時計画されたのが、「新・通勤5方面作戦」です。
「新・通勤5方面作戦」とは新宿を中心とした副都心の開発、交通手段の確保を意図したもので、3本の新線が計画されていました。その中の1つが「常磐方面開発線」です。残りの2線は「東北・東海道方面開発線」「中央・総武方面開発線」で、前者は湘南新宿ラインとして既設路線を利用する形で最近実現しており、後者は東京メトロ東西線が役割を果たしています。
「常磐方面開発線」は常磐線の新宿方面へのバイパスとされていました。常磐線の混雑緩和を主眼においていたため、新宿~柏で計画されていましたが、後に終着駅が守谷に改められたようです。
その後、昭和40年代後半には国鉄内部で「第二常磐線」として東京起点での計画にまで練り直されましたが、国鉄の財政難により投資が出来ず、結局実現には至りませんでした。ただ、この路線は現在のTXにつながる最初の計画となりました。

運輸政策審議会答申第7号

┃東京
┃秋葉原
┃新浅草
┃元浅草
┃南千住
┃北千住
┃青井
┃六町
┃八潮
┃三郷中央
┃南流山
┃流山運動公園
┃流山新市街地
┃柏北部中央
┃柏北部東
┃守谷
伊奈谷和原
萱丸
葛城
つくば
1985年7月、運輸政策審議会答申第7号で「東京圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画」が答申され、その中で「常磐新線(後のつくばエクスプレス)」が都市交通対策上喫緊の課題とされ、2000年を目途に開業できるよう計画が進められました。
常磐新線は東京~守谷間を第1期線(2000年までに整備すべき路線)、守谷~つくば間を第2期線(整備の方向で検討する路線)として計画されました。

国策鉄道となった常磐新線

東京
┃秋葉原
┃新浅草
┃元浅草
┃南千住
┃北千住
┃青井
┃六町
┃八潮
┃三郷中央
┃南流山
┃流山運動公園
┃流山新市街地
┃柏北部中央
┃柏北部東
┃守谷
┃伊奈谷和原
┃萱丸
┃葛城
┃つくば
1988年には住宅供給と鉄道建設を一体的に行うために「総合土地対策要綱」が閣議決定されて、常磐新線は国策上、重要なプロジェクトとなりました。建設は第三セクターで行い、運営はJR東日本が行うという基本方針が決められました。同時に守谷~つくば間の第1期線への昇格が決まり、都心側の起点が東京から秋葉原に変更されました。TXの建設区間は秋葉原~つくば間となったのです。
1989年6月、常磐新線は他の鉄道とは明らかに異なるものになりました。常磐新線のための法律である「大都市地域における宅地開発および鉄道整備の一体的促進に関する特別措置法」が成立したのです。この法律は「宅鉄法」「一体化法」などと呼ばれ、首都圏の住宅供給の促進を行う特別措置法です。この法律に基づいて、常磐新線プロジェクトが始まりました。
細かいルート変更は沢山あったのですが、特に有名なのは南流山付近の地下化でした。武蔵野線の上を2重高架で通過予定だったところを、流山での反対運動により地下化することになったもので、江戸川橋梁を渡ったTXは一気に地下へと進入し、R400の急カーブで島式の南流山駅地下ホームに到着することになりました。ちなみに、この変更により建設費が増加し、葛城地区(現在の研究学園付近)が地下線から高架線に変更されました。
その後、茨城県の要望で萱丸~葛城間に島名駅が追加されました。

首都圏新都市鉄道が設立

1991年3月15日、常磐新線の建設を行う第三セクター、首都圏新都市鉄道が沿線自治体の出資で設立されました。
同じ年の10月には「首都圏北東部地域における宅地開発および特定鉄道の整備の一体的推進に関する基本計画」が承認されました。この基本計画は宅鉄法に基づいて東京都、千葉県、埼玉県、茨城県が申請したものです。
当初は運営会社がJR東日本となる予定でしたが、JR東日本が運営を辞退したため、この首都圏新都市鉄道が運営にあたることになり、1992年1月に第1種鉄道事業免許を取得しました。

続々と工事着工

1993年1月に秋葉原~新浅草間の工事施工認可が下りたのを皮切りに、1994年10月から建設主体である日本鉄道建設公団による本格的な工事が始まり、2001年6月までに全ての区間で常磐新線の工事が着工しました。2003年に日本鉄道建設公団は「独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構」に移行しましたが、常磐新線の工事は引き継がれています。
1998年からはJR東日本も日本鉄道建設公団から委託を受け、一部区間の工事を施工しました。具体的には秋葉原駅の一部、南流山駅、南千住駅~北千住駅付近、小菅交差部の4箇所です。

工事の進捗

建設開始時には建設予算は5000億円、開業時期は2000年度中となっていましたが、工事の遅れなどで建設予算は1兆500億円、開業時期は2005年度中となりました。ただ、結果的にはその予算を下回り約9400億円ほどで事業が終了しました。

路線名の決定

開業後の路線名は2000年に募集されました。

街頭モニター調査

2000年12月に秋葉原、横浜、三郷、つくば、柏の5箇所で400人を対象にして行われました。
第1位 つくばエクスプレス
第2位 つくば線
第3位 学園都市線
第4位 ゆめみらい線
第5位 東京つくば線

一般募集

2000年8~9月に22394件の応募がありました。
第1位 つくば線
第2位 学園都市線
第3位 つくば新線
第4位 つくば学園都市線
第5位 つくば学園線

これらの結果を基にして常磐新線イメージづくり調査委員会の提言を得て、2001年2月に路線名が「つくばエクスプレス」に決まりました。それ以降は広告媒体などの記事は「つくばエクスプレス」埋め尽くされ、常磐新線の名前は役割を終えることになりました。
なお、路線名決定と同時に「新線イメージ推進シナリオ」がまとめられ、地域愛称は2001年1月に「みらい平・いちさと」に決まりました。これは、一般募集で「地域愛称グッド提案賞」を受賞した「いちさと未来地域」「みらい平野」を合わせた造語です。「いちさと」は茨城、千葉、埼玉、東京の頭文字をとっています。

新線イメージ推進シナリオ

4つの基本目標

  • 整備 - 東京圏北東部地域の交通体系の整備
  • 緩和 - JR常磐線等既設鉄道の混雑緩和
  • 供給 - 首都圏における宅地供給の促進
  • 形成 - 沿線地域における産業基盤の整備と業務核都市の形成

イメージコンセプト

「人と環境」優先へ。創造定期生活へ。時代の最高水準へ。進化する鉄道・進化するまち

目指すべき鉄道イメージとして

  • 環境共生鉄道
  • 人間優先鉄道
  • 地域創造鉄道

そして・・・

  • 常に社会をリードする魅力を持つ鉄道として進化しつづける
  • 安全性、速達性、正確性という鉄道の基本性能を高次元で達成する

BI(ブランド・アイデンティティ)

首都圏新都市鉄道は「新線イメージ推進シナリオ」を達成するために基本6項目を整理しました。
  • 既存鉄道との差別化が図られているか
  • 印象度の高い方策が採られているか
  • 「鉄道名称」と「駅空間」「駅設備」「車両」に違和感はないか
  • 複合的手段によるアイデンティティ形成を意図しているか
  • 「トータルデザイン」の発想によっているか
  • 結果として"トータルデザイン"を感じるか
つくばエクスプレスはこれら6項目を達成できるように指針がまとめられました。

BIカラー

つくばエクスプレスではBIカラーを2色定めています。
  • 青 - 鉄道の「安全性・信頼性」を表現
  • 赤 - つくばエクスプレスの「活気・エネルギー」を表現
青「安全性・信頼性」 赤「活気・エネルギー」
印刷色 ブルーアドリアティック カーマイン
機器マーキング色 ネイビーブルー カーマイン
サインシステム色 ネイビーブルー スカーレット
これらの3パターンの組み合わせでBIカラーが表現されています。

車両の搬入開始

車両のデザイン

従来、常磐新線の広告媒体に登場していた黄色い車体デザインは10年以上前に描画されたものであり、実際の車両とは異なる架空のイラストでした。2階建て車両を2両連結した姿は、あまりにも有名です。(2階建てだと1階の車窓が防音壁に被ると思いますが)
開業用新造車のデザインは、Ⅴ字型のデザインを採用し、スピード感を強調したものとなりました。車体はアルミ車体を採用し、上記のBIカラーを取り入れたものです。2002年8月に外観イラストが公表されました。
少し前のデザインではⅤ字型の要素が抜けていて、福岡市営地下鉄1000系のような、くの字型に前面が突き出したデザインで、車体は青と白の2色で全面塗装されていました。あまり特徴の無いデザインで、Ⅴ字型の要素がいかに先頭形状の特徴になっているかが分かります。

量産先行車(01F、51F)の搬入

車両はTX-1000系が川崎重工兵庫工場、TX-2000系が日立製作所笠戸工場で製造され、2003年3月、各形式の量産先行車が甲種輸送されました。この時の甲種輸送経路は田端操車場を経由するもので、量産車の搬入時と比べて、メーカー出荷向きが逆でした。
量産先行車12両は、2003年3月20日に土浦貨物駅に到着し、22日~25日早朝にかけてTX総合基地まで陸送されました。笠戸工場からの総移動距離は1130kmを超えます。

量産車の搬入

2004年から量産車の搬入も始まり、2005年1月までに6両×30編成=180両が新造されました。

工事が大方完成

2004年3月に全線の土木工事が終了し、2004年5月に北千住駅にてレール締結式、2004年8月に利根川橋梁で架線締結式が行われました。その後2005年7月に国土交通省の完成検査に合格して、営業が行えるようになりました。
開業後も残っているのは、都内のトンネル上の道路復元、高架下へのフェンス設置などの環境工事だけとなっています。

走行試験

第1期走行試験

2003年4月21日に守谷駅まで初入線し、その後、守谷~総合基地・小貝川橋梁間で、2003年7月まで第1期走行試験が行われました。
この試験は車両の基本性能を確認するための試験で、時速60km/h程度までの走行で量産車へ反映するデータを取りました。2004年1月から搬入された量産車は細かい変更が行われています。

監査運転(守谷~みどりの間)

2004年4月からの第2期走行試験に向けて、鉄道建設・運輸施設整備支援機構による施設の監査が2004年3月21日から行われました。初日の試験では54Fが守谷~みどりの間を往復しました。また、3月24,25日には初の高速試験(130km/h)を先行して行いました。

第2期走行試験

2004年4月から7月まで、守谷~みどりの間の本線を使って第2期走行試験が行われました。
この試験は実際の営業運転に向けた試験で、130km/hからの非常制動、擦れ違いや、ATOの試験などを行いました。試験は営業用と同じ配線のまま単線並列で行われ、逆線走行も見ることが出来ました。

監査試験(全線)

2004年9月中旬から、全線走行試験へ向けた施設の監査が行われました。
どの駅に何日に入線したかは駅舎の各駅のページに「初入線日」として掲載しています。
10月21日の速度向上試験では、初の営業速度、全線通しの走行試験が行われ、普通1往復、快速1往復が走りました。10月29日には幻のノンストップ回送試験が行われたりと、この時期の監査試験は話題が多かったです。

全線走行試験(Ⅰ)

2004年11月1日、報道関係者を前にして、52Fによる初の全線走行列車(監査を除く)が総合基地から秋葉原に向けて出発しました。
52Fには全線走行試験を記念するヘッドマークが取り付けられ、これが初のヘッドマークとなりました。
走行試験は平日の10時から17時の間に行われ、基本的なパターン(乗務員訓練)だと全線15分間隔で走行しました。全線走行試験では、このパターンを基本にして、日によってテストパターンダイヤが組まれました。

全線走行試験(Ⅱ)

上の全線15分間隔ダイヤは、半数が守谷止まりになるなどの変更を入れながら、2005年3月末まで続きました。
2005年4月1日からは走行試験を日曜日も行うようになり、本数は10分間隔(守谷以北20分間隔)となり、時間も8時から20時までに延長されました。同時に、守谷駅1,4番線での夜間留置訓練も始まり、夜間は2編成が停泊するようになりました。

全線走行試験(Ⅲ)

2005年5月1日からは走行試験を毎日行うようになりました。5月中の快速運転は無く、6月から快速を交えた走行となりました。
この試験は7月21日まで続き、この日を最後に、日中電車が走っていない姿は見納めとなりました。

全線走行試験(Ⅳ)

2005年7月22日から、開業用ダイヤでの走行が始まりました。
開業用ダイヤでの訓練は8月23日まで続き、そのままの形で開業の日を迎えることになります。

開業

開業2日前の2005年8月22日に、1994年に起工式が行われた秋葉原駅で発車式が行われました。
8月24日、つくばエクスプレスは開業し、沿線の期待通りの活躍を始めました。

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