1971年~1993年

年表(1971年~1993年)

先史

新・通勤5方面作戦

30年以上前の国鉄内部の計画なので、情報の収集に難航しています。
新宿が起点とされ、柏方面に向かう計画だった・・・との情報がありますが、建設誌でも3行しか触れられていません。おそらく常磐線に腹付線増される区間が大半だったのではと思います。
1978年07月

茨城県・県南県西地域交通体系整備計画調査

茨城県が設置した県南県西地域交通体系調査委員会において、「第二常磐線」構想がまとめられました。複々線化完成後も利用者数の増加が見込まれる常磐線のバイパスとして、新線建設を策定した最初の計画です。ルートは、「都内‐水海道‐学園都市‐石岡‐水戸」でした。
昭和40年代に行われた国鉄の5方面作戦では、輸送力増強策は複々線化などの腹付線増が基本でしたが、常磐線は、学園都市(つくば)を都心に直結させ、沿線開発を促進させるために別線線増を行うのが妥当とされました。つまり、常磐線の混雑緩和が発端にはなっているものの、別線建設の時点で、すでに沿線開発が織り込まれていた事になります。
1980年

茨城県・第二次県民基本計画

茨城県は上の調査の報告書を受けて、第二次県民基本計画に「第二常磐線の具体化を図る」との文章を盛り込みました。県の方針として第二常磐線の建設が規定されたわけで、新線建設に向けて動き出すことになります。
1983年

茨城県・「第二常磐線と地域開発に関する調査研究会」発足

茨城県は1984年度に予定されていた国の運輸政策審議会の答申に備え、調査審議中の審議会に第二常磐線を加えるよう要望しました。この答申では当初から東京50km圏への提言が予定されていました。
それに併せて、茨城県としての具体案を提示するために、「第二常磐線と地域開発に関する調査研究会」が発足し、おおまかなルート選定、需要予測、試算などが行われました。
1984年7月

茨城県議会に「第二常磐線と地域開発に関する調査研究会」が報告書提出

茨城県の想定4ルートのうち、3ルートが成立可能とされました。
経由地 所要時間 茨城県内建設費 需要予測*
A 都心‐柏北部‐取手‐研究学園都市 75分 2790億円 131800(人/日)
B 都心‐柏北部‐南守谷‐研究学園都市 59分 2310億円 133300(人/日)
C 都心‐柏北部‐水海道‐研究学園都市 60分 2330億円 145300(人/日)
D 都心‐七光台‐石下‐研究学園都市 採算の見込みなし
アスタリスク(*) - 2000年(当時の開業予定年)の需要予測
1984年9月

茨城県・「第二常磐線研究会」発足

同年7月の報告書から、茨城県としての具体案がBルートに決まり、開発利益の還元、事業主体、土地対策の検討を行う「第二常磐線研究会」が発足しました。
  • 大都市交通線助成方式 - 23年で黒字転換
  • 開発者負担金併用方式 - 21年で黒字転換
開発者負担金併用方式 - 建設費の30%を開発者が負担し、残りは大都市交通線助成を適用。
1985年07月11日

運輸政策審議会答申第7号

運輸政策審議会は答申第7号「東京圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について」を答申しました。目標年次を2000年としています。
この中で「常磐新線の新設」という項目が設けられ、その整備方策で常磐新線は「都市交通対策上喫緊の課題」とされました。
また、膨大な資本金負担を考え、答申後早期に国鉄など関連鉄道事業者と検討の場を設ける必要があるとされました。

茨城県の働きかけ

「つくばエクスプレスがやってくる(日本経済新聞社)」の中で、元茨城県企画部地域計画課長による話が出ており、それによると答申直前の運輸省の案は、柏市の豊四季を通った後、我孫子を終着駅にするものだったようです。
利根川を渡らせるため、車両基地用地の確保など、水面下のやり取りがあったようです。
1985年09月

「常磐新線の整備方策」提示

答申を受けて、運輸省が、東京都、埼玉県、千葉県、茨城県に対し、常磐新線の整備方策を提示しました。
1985年12月

「常磐新線促進関係都県連絡協議会」設置

東京都知事、茨城・千葉・埼玉県知事による協議会が設置されました。
1986年01月

「常磐新線整備検討会」設置

東京都知事、茨城・千葉・埼玉県知事による具体的な検討が始まりました。
1986年02月

「常磐新線建設促進都市連絡協議会」設置

沿線自治体を交えた連絡協議会が設置されました。
1987年06月

第四次全国総合開発計画

「既存鉄道の混雑緩和や都心一点集中構造の改善のために整備を進めていく」と明記されました。
1987年07~12月

議員連盟

常磐新線整備促進の議員連盟が7月から12月にかけて一都三県で組織されました。
1987年09月

「常磐新線整備検討委員会」設置

運輸省(運輸省審議官)、茨城県(副知事)、千葉県(副知事)、埼玉県(副知事)、東京都(副知事)、民営化直後のJR東日本(副社長)が参加する「常磐新線整備検討委員会」が設置され、駅位置、人口予測、需要予測、収支計算、財源の調達方法、鉄道用地の確保が検討されました。
1987年11月

「常磐新線整備検討委員会」基本フレーム合意

「常磐新線整備検討委員会」が基本フレームをまとめました。
  • 開業時期は昭和75年(平成12年)
  • 整備主体は第三セクター、運営主体はJR東日本の上下分離方式
  • 秋葉原~筑波研究学園都市間で第一期工事を行う
  • 建設費は約6000億円(建設費の少なくとも1割が出資金で、用地費が自治体負担で900億円)
  • 北千住以南に「地下鉄建設費補助」、北千住以北に「鉄道公団P線方式」を適用
この段階までは、JR東日本が最有力運営主体とされていました。
1988年06月

「多極分散型国土形成促進法」「総合土地対策要綱(ようこう)」成立

土地価格の高騰に伴い、政府は宅地開発と鉄道の整備を一体的に推進することを決め、「多極分散型国土形成促進法」「総合土地対策要綱」の中で、方針が明記されました。
1989年06月22日

「大都市地域における宅地開発及び鉄道整備の一体的推進に関する特別措置法」成立

リクルート事件で揺れる6月22日の参議院本会議で、常磐新線のための法律「大都市地域における宅地開発及び鉄道整備の一体的推進に関する特別措置法(以下、一体化法)」が成立しました。通称「一体化法」「宅鉄法」と呼ばれ、1989年9月に施行されました。
簡潔に言えば沿線自治体が用地の先行取得を行い、開発の主導権を握るための法律です。
1990年03月

JR東日本が運営から撤退

基本フレームでは、運営主体はJR東日本が想定されていましたが、開発利益の還元、用地所得リスクの対応について、自治体とJR東日本の間で合意ができず、JR東日本は「地方公共団体を主体とした第一種鉄道事業として推進すべき(つまり、運営主体を辞退する)」という意見を示しました。
1990年06月

「常磐新線建設促進議員連盟」発足

1987年の都議会、県議会議員による議員連盟に続き、国会議員による建設促進議員連盟が発足しました。

政府「日米構造問題協議最終報告」提出

常磐新線の建設、一体化法による沿線開発が盛り込まれました。
1990年07月

運営主体も第三セクターに決定

JR東日本の運営辞退を受けて、都県副知事会議において、整備主体の第三セクターが運営も行っていくことが決まりました。
1990年11月15日

11月の都県副知事会議

以下の通り、第三セクターの骨子が合意されました。
  • 開業時期は平成12年。
  • 整備主体・運営主体は第三セクター。
  • 秋葉原~筑波研究学園都市間で第一期工事を行う。
  • 建設費は約8000億円。
  • 平成2年度(1990年度)中に第三セクターを地方公共団体で設立。
  • 出資比率は、東京都4、埼玉県1、千葉県2、茨城県3。
1990年12月
同意に基づき、第三セクター設立準備室発足しました。
1991年01月

第三セクター発起人会開催

第三セクター発起人会が開催されました。

政府「総合土地政策推進要綱」提出

常磐新線の建設、一体化法による沿線開発が盛り込まれました。
1991年03月11日

「首都圏新都市鉄道株式会社」創立総会

赤坂プリンスホテルにて、創立総会と第1回取締役会が開催されました。
1991年03月15日

「首都圏新都市鉄道株式会社」設立

沿線自治体の出資により、資本金14億円で設立されました。東京都港区六本木に本社を置いています。
1991年04月

「鉄道整備基金法」成立

鉄道事業に対し、無利子の基金の貸付を総合的に行うための法律が成立しました。
基金は新幹線を新幹線保有機構からJRに売却したときの収益が充当され、常磐新線もこの基金を利用することになります。同年10月に施行されました。
1991年06月01日
第1回増資により、首都圏新都市鉄道の資本金が56億円になりました。
1991年09月30日

一体化法に基づく基本計画を運輸・建設・自治大臣に提出

一体化法を元に、茨城県、千葉県、埼玉県、東京都によって策定された、「首都圏北東部地域における宅地開発及び特定鉄道の整備の一体的推進に関する基本計画(以下、基本計画)」が、運輸・建設・自治大臣に提出されました。

基本計画の概要

主に、以下の4点が計画されました。
  • 駅位置 - 島名駅以外の住所が決められました。
  • 供給宅地面積 - 各都県の予定宅地面積が決められました。
  • 特定地域 - 鉄道整備により大量の住宅地が供給される地域が指定されました。
  • 重点地域 - 鉄道整備により相当量の宅地が供給される拠点地域が指定されました。

茨城県の要請

基本計画では茨城県内の駅数は5駅でしたが、将来、島名(現・万博記念公園)駅を追加した際に基本計画が変更できるよう、運輸省、建設省へ要請をしました。
1991年10月23日

基本計画が承認

運輸・建設・自治大臣から基本計画が承認されました。
増設駅があった場合、請願者が建設にかかる費用を全額負担することなどが決まりました。
1991年10月25日

第一種鉄道事業免許を運輸大臣に申請

首都圏新都市鉄道が、鉄道事業法に基づく第一種鉄道事業免許を運輸大臣に申請しました。

免許申請時の計画

概要は以下の通りです。
  • 秋葉原~つくば間の所要時間は約60分。
  • 平成12年の輸送人員(開業時)475000人/日。
  • 平成22年の輸送人員(開業10年後)576000人/日。
  • 車両は8連35本(280両)。
  • 建設費は約8000億円。
  • 工事完成期限は2000年3月31日。
1992年01月10日

第一種鉄道事業免許を取得

鉄道事業法に基づく第一種鉄道事業免許が、首都圏新都市鉄道に免許されました。
1992年04月21日
第1回常磐新線連絡会議を開催
1992年05月17~19日
鉄道建設事業の見解書説明会開催
1992年07月14日
第2回増資により、首都圏新都市鉄道の資本金が66億円になりました。
1992年09月03日
常磐新線プロジェクト研究会が発足
1992年09月09日
鉄道事業法第61条に基づき、鉄道線路の道路敷設許可(秋葉原~新浅草)を建設大臣へ申請
1992年09月21~24日
都市計画案説明会(秋葉原~新浅草)開催
1992年10月05日
環境影響評価書案(秋葉原~新浅草)を東京都知事へ提出
1992年10月05日
鉄道事業法第8条に基づき、工事施工許可(秋葉原~新浅草)を運輸大臣へ申請
1992年11月11~13日
都市計画案説明会(秋葉原~新浅草)、環境影響評価書案説明会(秋葉原~新浅草)開催
1993年01月25日
工事施工認可(秋葉原~新浅草)→現在の秋葉原~浅草
1993年02月17日
日本鉄道建設公団による常磐新線(秋葉原~新浅草)建設を運輸大臣へ申し出

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